PC-8001mk2 拡張ボード
PC-8001mk2に挿していた自作の拡張ボード、2つのスロットにはこれと8インチFDのコントローラが入っていました。
これが全体像です。
下の拡張スロットに挿していたI/Fボードと右上のROMライタボードの間は例によってコネクタをケチって直結していますね。
I/Fボードから伸びている黒いコードは音声出力、細い青い線は+12Vの電源です。
PC-8001mk2に挿していた自作の拡張ボード、2つのスロットにはこれと8インチFDのコントローラが入っていました。
これが全体像です。
下の拡張スロットに挿していたI/Fボードと右上のROMライタボードの間は例によってコネクタをケチって直結していますね。
I/Fボードから伸びている黒いコードは音声出力、細い青い線は+12Vの電源です。
東芝製の真空管12AX7Aです。
これは双三極管といって一つの管の中に三極管(FET類似の特性をもつ)を2つ封入したものです。
わかったようなことを書いていますが、真空管回路の設計・製作をしたことはありません。せいぜい周辺回路の修理をしたことがある程度です。
小学校の図書の時間に本で読んで(図書室の電気関係は古い本ばかりでした)興味を持ったのですが、なにせ(ヒータで高温になり、プレートには300V程度の電圧が必要なため)危険なので手は出さなかったのです。
TMM323Cではわからなくても、2716と言えばわかる人も多いでしょう。
初期の頃の紫外線消去タイプのEPROMです。窓の周りやピンの形状が古めかしいですね。
24ピンで容量が16kbit(2kバイト)、アクセスタイムは450nsだったでしょうか。この2716から5V単一電源になって書き込みも簡単になったそうですが、私はEPROMはこの2716から使い始めたのでその点の実感は無いですね。後から2708の仕様を読んで「げっ」と思ったものです。
平和島の流通センターで行われていたマイクロコンピュータショウ、何年まで開催されていたのでしょうか?
貰ったパンフレット類はほとんど残っていませんが、なぜか入場者に配られた手提げが残っていました。
これは初めて行った1983年のもの、この時私は中1でした。こんな子供がデバイスなんかのブースに行っても「えっ?」という顔はされても普通にパンフレットくれた記憶があります。
このときのキャッチフレーズは「知能化時代とマイコンの役割」。この年はまだ手提げ用の紐は付いていません。印刷も片側のみで裏側は真っ白です。
これは私が家で(メインで)使った3台目のプリンタです。
キヤノン製のレーザプリンタで、家庭でも使える大きさ・価格になった初期のものです。私が珍しく新品を買ったプリンタでもあります。
この頃がこのクラスのプリンタとしての一つの転換点だったのではないかと考えています。それまでの連続紙に固定サイズフォント(せいぜい「倍角」にできるくらい)からカット紙を給紙してスケーラブルなフォントに変わりました。これはコンピュータをわかっている人がコンピュータに合わせて使う時代から、普通の人が世間の慣習にあわせて使う時代への変化なのでしょう。
これは私のものではありませんが、昔から家にあったもので、私がパソコンに興味を持つきっかけになったかもしれないものです。
これはキャリングケース、これではなんだかわからないですね。
Smith-Coronaの会社名からわかる人にはわかるかもしれません。
これは学生時代に研究室に持ち込んでいたPCです。マスターになって机を持てるようになったのでX端末の代わりにしていました。
左側は3.5インチのFDDです、大きさの参考にしてください。POWER, RESET以外にTURBOスイッチがあるのがこの時代(90年代前半)のPCの特徴です。別にこれを押すとオーバクロックになるわけではありません。ONにして使うのが普通で、OFFにすると遅くなります。まだソフトでタイミングを取っているものが残っていたためらしいのですが、私は当然常時ONで使っていました。
エンブレムの「GLORIA」は確かケースを扱っていたグロリアシステムズという会社のだったと思います。秋葉原では珍しく昭和通りの東側にあったような。そういえば昔、同じ名前でPC-8001等の互換機のキットを販売している会社があったのですが、もしかして同じ会社だったのか?